多くの母親は妊娠中から、生まれてくる子どもとの未来に希望を膨らませる。一緒にあそこに行きたい、こんな服を着て、こんなことで遊んで……。それでも最終的には「健康で普通の子になってくれれば」というささやかな望みに帰着する人が多いだろう。だがもし、そのささやかな望みさえ叶わなかったら?
発達障害の子を持つ親の奮闘、目を背けたくなるほどの現実を描いたコミックエッセイ『母親やめてもいいですか』(山口かこ:著、にしかわたく:イラスト/かもがわ出版)が話題となっている。
著者は幼いころに父を事故で亡くしたために、人一倍「普通の家庭」に憧れを抱いてきた。不妊治療を経て生まれた娘に愛情を注ぎ、希望を膨らませていた。しかし2歳ごろから娘の変化が目につくようになる。一般的に子どもが大好きなはずの砂場が苦手、ほかの子どもと一緒に遊ぶこともできず、「かんしゃく」を起こすと自分をたたく“自傷”行為が見られるようになる。
不安に押しつぶされそうになりながら足を運んだ病院で下されたのは「広汎性発達障害」という診断。「一生を通して“変わった人”という雰囲気は変わりません」という医師のひとことに大きな衝撃を受けた著者は、がむしゃらにインターネットで情報収集を始める。だがそこにあるのは、発達障害のせいでいじめに遭ったり、社会になじめずに苦しむ人々の声。ネガティブな情報に翻弄された著者は次第に、夫との距離が開き、苦しい現実から逃げるようにチャットにハマリ、そこで出会った男性と不倫。それを忘れるために新興宗教に頼るなど、どん底生活へ。最終的には離婚し、子どもと一緒に暮らすことも手放している。
しかし、筆者をそんな生活へ導いた真の理由は、発達障害を持つ母親の孤独にあるように思える。「療養は特効薬ではない」「“障害”なんだから“病気”のように“治す”ものじゃない」という出口の見えない暗闇にいる不安をひとりで抱える。発達障害の子どもを育てる苦労は理解されにくく、「本人や家族が困っていても“性格”や“個性”といわれてスルー。かといって“障害”を主張すぎると“お母さんが神経質”と問題がすり替えられて、これまたスルー」という現実。著者を新興宗教にさそった女性は、3人の子ども全員が発達障害と診断され、周囲からは「育て方が悪い」、宗教関係者からは「前世の業を解消しないと」と責められ、突発的にオーバードーズするほど追い詰められている。
本書を読んでいて浮かび上がってくるのは、多くの母親が期待する「普通の子」というのは実は「幻の子」だということ。確かに発達障害を持つ子どもたちは、ほかの子どもたちに比べて、コミュニケーションが苦手かもしれない。しかし、特有のやさしさや真面目さを持っている。逆に障害のない子どもたちもひとりひとり得意・不得意があり、「普通の子」などがいないことを痛感させられる。
「幻の子」を追い求めるあまりに、目の前のわが子を正面から見ていない親は少なくないはず。この本は発達障害の子を持つ親だけでなく、多くの子育てに悩む親にもヒントを与えてくれる。
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