施設の利用者とスタッフによって生み出される荒ぶる音楽は、社会的にマイノリティな彼らを一気にメジャーシーンへ進出させました。
また、このしょうぶ学園はアートを通じて、社会と知的障がい者の共生(インクルーシブ)を図るユニークな試みを行っています。工芸・芸術・音楽など、知的障害をもつ人のさまざまな表現活動を通じ、多岐にわたる社会との共生活動をプロデュースし、主宰する福森さんにお話を伺います。
音パフォーマンス集団「otto&orabu」
「otto (おっと)」は、2001年に民族楽器を中心に結成したパーカッショングループです。足並みがそろわない頑強にずれる音、パワーのある音、不規則な音が自由に、そして純粋に楽しくセッションすることによって、心地よい不揃いの音が生まれます。
浅井 音楽ファンの間でも話題になっている「otto&orabu」について。音のクオリティの高さはもちろん、知的障がい者施設とメジャーな音楽という取り合わせがとても新鮮でした。
福森 僕は12年くらい前から「otto&orabu」をやりはじめたんだけど、彼ら(知的障がい者)のパフォーマンスは奇妙なズレがある。この業界では、彼らのことを”奇妙”っていうのは、権利擁護的にひっかかるんですけど、そこは置いておいて。
おかしかったり奇妙だったり不思議な感じだったりとか、普通はその状態からいわゆる”健常者”のように振る舞えるように訓練するのがいわゆる”施設”なんだけど、僕は彼らの奇妙さがピュアに思えて。そこがとても素敵だから取っておきたいって思ったんです。
ただ、ズレたままだと、”健常者”と呼ばれる人々で形成された社会では受け入れ難い。だから僕たち職員が、彼らのピュアさを全く否定しない状態で軌道修正を加えて、良さがちゃんと伝わるように知恵を使う。
彼らが先に発想して、僕らがついて行く。そのコラボレーションが「otto&orabu」なんです。
浅井 CDは出していないんですよね?
福森 「otto&orabu」は音パフォーマンス集団ですから、ライブがすべて。その時々出たとこ勝負ですし(笑)。CMの曲もCMディレクターの森本千絵さんがわざわざ僕たちの所まで来てくださって、ディレクションしながらその場で音を作りました。
しょうぶ学園のアートは、お互いの足りない部分を補い合う作業
浅井 芸術という手法で現代社会で彼ら(知的障がい者)が共生する。福森さんはなぜその方法を用いたのでしょうか。
福森 他の施設は、彼らが”健常者”と言われるひとのように少しでも振る舞えるよう、僕が言うピュアな所を修正し訓練していくから元の味がなくなってしまう。その元の味っていうのは、彼ららしさだし、その人らしさじゃないですか。とにかくそこを否定したくなかった。
彼らの絵とか、一般的に言えば”ちょいヘタ”なんだけど(笑)、視点をずらすとすごくカッコいい。そこを探して生かすのが僕らの仕事なんですね。
浅井 彼らも私たちもお互い、持ってない部分を補い合っているってことなんですね。
福森 そう。計算が出来てしまう者は、ピュアじゃないっていう障害かもしれないし、彼らは賢くないっていう障害かもしれない。
浅井 どちらがマイノリティかっていう話なんですよね。
福森 最近、引き蘢ったりキレたりする人が増えて、本当にどちらがが障害なのかって考えます。幸福度っていうのは自分自身が幸福だって思える指数ですけど、たぶん知的障がいを持っている人のほうが「私は不幸じゃない」って思っている人が圧倒的に多い。だって不幸の意味が分からないから。
そして”健常者”と呼ばれる人のほうが、自分自身を幸せだと思えている絶対数が少ない。それは賢さゆえ理想と現実を比較対象してしまうから。それは良く言えばモチベーションなのかもしれないけど、知的障がい者にはモチベーションがないのです。いつもの状態を幸福と呼ぶんです。
浅井 実際、そういう知的障がい者の内面の事など多くは知られていません。
福森 否定されています。例えば、学校などでは「嫌いな人間にも挨拶しなさい」って教えられるけど、知的障がい者は、嫌いな人間には挨拶しない。僕はそれがナイス!と思う。だってそれが人間らしさだと思うから。人間らしく振る舞うことは良い事です、ひとは言う。でも人間らしく振る舞って社会規範に反したりすることは否定される。そんなこの社会は病気かもしれない。
浅井 しょうぶ学園では少しだけ見方を変え、相手を素敵な所を見つけ、あんなにすばらしい創造物を生み出していますね。発想を転換させるだけでいとも容易く社会と共生しています。
福森 僕たちはもっと楽であるべき。自分を否定しないでほしい。僕は、「あなたは、そのままでいいんですよ」と叫ぶ。なんでもおりこうさんになる必要はないです。
しょうぶ学園は知的障がい者施設です。ですが、彼らの活動は、思いがけない視点で、現代社会を”健常者”いうカテゴリーで生きる私たちに”自分らしさ”を問いかけてきます。
福森さんとお話をさせていただいて、感じた事。彼ら(知的障がい者)は、自分たちを、そして私たちをも肯定している希有な存在で、「そのままでいいんだよ」と私たちを、そしてこの社会全体を勇気づけてくれているような気がします。
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