著者は、重度自閉症の東田直樹さん。「自閉症の人たちは特別な存在ではなく、みんなと同じように悩み、苦しみ、そして喜んでいたり、楽しんでいたりしていることをわかってもらいたかったのです」という思いから執筆されていたコラムが、反響を呼び、ついに単行本になりました。これまでの連載(60回分)を加筆・再構成し、また、190号での宮本亜門さんとの対談も収録しています。
ihayato.newsのサイトで、本の内容を共有してくれていますので、ご紹介。
「自閉症」から見える世界
・母があきらめずに毎日練習してくれたおかげで、三ヶ月後には、母とも筆談ができるようになりました。僕が、最初にいいたかったのは「ごめんなさい」という言葉、そして「ありがとう」という言葉です。みんなにとっては、何気ない「うん」「ちがう」「どっちでもいい」という、意思表示の言葉がつかえるのも、僕にとっては夢のようなことでした。
・僕が、文章を書けるということを信じてくれない人もいます。それは、僕が重度の自閉症だからです。僕は、みんなのように話せないばかりか、普通では理解できないような行動もします。まるで、壊れたロボットを操縦するような身体。言葉は理解できていても、それを行動に結びつけることもできません。何をするにも気持ちに折り合いが必要で、成功体験をイメージしないと簡単な指示にも従えないのです。
・僕という人間を先入観なしに見てください。そこからすべては始まるのではないでしょうか。普通の人のように自分で何でもできれば、今よりもずっと、僕は生きやすい人生を送れるとは思います。しかし、今以上に幸せになれるかどうかはわかりません。そう考えられるようになったのが、とてもうれしいことなのです。
・普通の人は、脳と心がつながっているような印象を受けます。しかし、僕にとって、脳とは行動を統制するもので、心は自分の思いそのものです。脳が行動を支配しています。刺激やこだわりのために、僕は自分で行動をうまくコントロールすることができず、いつもどうにもならないむなしさを感じています。心はこんなに自由なのに、思い通りにならない身体に閉じ込められているのです。話すこともできないため、ただ一人悲しむだけです。
・いまだに僕が一人で読むのは、小さい頃からなじみのある本です。それも、三歳くらいの幼児が読むかわいらしい絵本なのです。(中略)僕にとって、本はかけがえのない友人です。ページをめくる時、僕はほっとします。絵本の中の主人公は、どんな時も変わらず、僕をやさしく迎えてくれるからです。
・僕について話をしているにもかからわず、まるで僕がその場にいないかのような態度をされると傷つきます。自分は、その辺の石ころみたいな存在なのだろうか。ただ、周りの人の意見で動かされ、すべてが決められていく。自分の意思をみんなのように伝えられない僕は、なんて無力なのだろう。小さいころ、何度こんなふうに思ったことでしょう。
・意欲をもたせるのは、子どもの場合、ほめることでも可能でしょう。しかし、ほめる行為は、好きだという気持ちを伝えることとは別のものだと考えています。なぜなら、ほめる時、同時に好きだという気持ちを伝えると、いい子の自分だから愛されている、と勘違いしてしまうからです。僕は、そのままのあなたを愛していると伝えることが、何よりも大事だと感じています。
・自分自身へのやさしさは、甘えとは別のものではないでしょうか。このやさしさは、自分を肯定するために必要です。(中略)自閉症者のように、コミュニケーションが苦手なため、人に自分のことをわかってもらいにくい障害の場合、どれくらい自分に寛容であるかが、とても重要だと思います。自分のことを好きでいなければ、生きる気力を失ってしまうからです。
・僕が、どうしてありのままの自分でいるのが難しいのか。それはありのままの自分では、今の社会に適応できていないからです。社会には、守らなければいけないルールがたくさんありますが、僕はそのルールが守れません。普通の人みたいにふるまえるように一所懸命努力していますが、なかなかうまくいかないのです。
・僕は、改造人間のように言動のすべてを直さなければ、みんなの仲間には入れてもらえないのだろうか。ずっと、そんな気持ちを抱えながら生きてきました。もちろん、他人に害を与えることはやってはいけないことだと思います。しかし、興味や関心などは人によって違ってもいいはずなのに、すべてを普通の人に近づけることが、自閉症者の幸せだと思い込んでいる人もいます。
・ありのままの自分でいたいと願うのは、僕のわがままなのかもしれません。みんながそんなことを言えば、この社会は成り立たないでしょう。それがわかっているからこそ、ありのままの僕を受入れようとしてくれる相手の優しさに触れた時、僕は未来に希望を抱けるのです。そして、同じ時間を過ごす幸せに包まれるのです。
12月1日、東京・赤坂にあるスワンカフェ&ベーカリー赤坂店で、出版記念記者会見を行いました。著者の東田直樹さんは重度の自閉症のため、頭にうかんだことばを覚えていることが難しく、通常の会話ができないそうです。そこで、手作りの紙の文字盤を指差しながら、一音、一音、発し、一かたまりのことばとして発語します。
直樹さんの発語には、不意に途切れる瞬間がたびたびおとずれます。
質問の途中、席を立ち、外を走る車をガラス張りの窓から眺めたあとにすっと席に戻ったり、美紀さんの腕時計を確認したり(美紀さんは直樹さんが落ち着くよう「終わったら」「3時」と応えます)、また、「おかあさーん」「タクシー」「福岡空港」「柿がふたつ」など、それまでの発語や質問の内容とは直接関係のないことば、1フレーズくらいの歌や英文を口にすることもあります。
直樹さんのことを何も知らない人がいあわせたら、びっくりするかもしれません。
直樹さんの質疑応答のあと、美紀さんから次のようなことばがありました。
「重度の自閉症の直樹は言動のコントロールがうまくいきません。自分の意思とは関係なく動いてしまうことがあります。好きでやっているわけではなくて、つい気をひかれてしまう。今も、直樹は車が見たくて席を立っているのではなくて、会見をちゃんとやりたいという気持ちはあるのです。しかし、コントロールがうまくいかないために、他人から見たら変わった行動に見え、“どうして今あんなことを?”という見方をされてしまうのが、一番の直樹の困難だと思います。
これまで、重度の自閉症で内面を表出できる方がそれほどいらっしゃらなかったということもあり、“そういう人は知能が低くて、わかっていないから、周囲には理解できないような行動をしてしまうのだろう”と考えられてきたと思います。けれど、私たちでも話すのがすごく上手な方も、口下手な方もいらっしゃるように、それぞれに豊かな内面があってもそれを外に出せないだけ、という人が世の中にはいらっしゃるのではないかなと思います。直樹だけが特別なのではなくて、障害が同じならば他の人にもそういう内面があるのではないのかと考えています。」
直樹さんの口から一音、一音、発せられることばは、簡潔でありながら、「人はなぜ生きるのか」という大きな問いへの答えを一人ひとりが考える手がかりに満ちていました。自分のことも、他の人のことも、「生きている」というただそれだけで賞賛したくなるような記者会見でした。
『風になる―自閉症の僕が生きていく風景』は、連載コラムを加筆・再構成し、宮本亜門さんとの対談(ビッグイシュー190号)も収録しています。何度も読み返し、ゆっくりと長く読み続けていただけるような本になりました。大切な人へのプレゼントにもおすすめの一冊です。
発売から約1ヶ月間はビッグシュー販売者による独占先行販売となります。ぜひお近くのビッグイシュー販売者からお求めください。
【関連サイト】
・東田直樹 オフィシャルブログ 自閉症とは、FCとは、筆談とは
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Vickie Silveira (火曜日, 31 1月 2017 11:54)
I'm impressed, I have to admit. Rarely do I come across a blog that's both equally educative and entertaining, and let me tell you, you have hit the nail on the head. The issue is something too few people are speaking intelligently about. Now i'm very happy I stumbled across this during my search for something concerning this.