「親が死んだ後、ひとりで自立した生活ができるよう長く勤められる職場を希望しています」東京都内で知的障害のある30代の次男と暮らす60代の母親は、こう話す。生後間もない検診で発達の遅れを指摘され、その後、自閉症と診断された。小中学校とも特別支援学級に通い、卒業後は地元のプラスチック部品工場に就職した。しかし、不況の影響などで工場が閉鎖することになり、失業。介護関係の会社に再就職したが、強い口調で注意されるなど社風が合わないため、自治体の障害者就労を進める団体の紹介で転職した。
◆正確で丁寧な作業
母親は「小さいときから『つらい』とか『嫌だ』とか言わないようにしつけたので、仕事に不満を漏らすことはない。でも、前の職場は、家に帰るとけんか口調で独り言を言って、つらそうだった」と振り返る。
次男の3社目の会社は、生命保険業のアフラック(東京都新宿区)が3年前に設立した障害者雇用の特例子会社、アフラック・ハートフル・サービス(調布市)。保険契約の管理部門が入居するビルの一角を拠点に、4月入社の新入社員を含めて53人の障害者(知的障害者50人、精神障害者3人)が働く。仕事は、保険契約者への通知書類の封入作業やファイリング、シュレッダー作業、パソコン入力など。10人の指導員が何かあれば手助けする。
3年前の設立当初は、シュレッダー作業だけだった。しかし、採用数が増えるにつれて仕事の内容が多彩になった。本社にとっても、これまで社員が行っていた単純作業をハートフルでまとめて担うことで効率よくなった。
綾部真琴社長は「覚えてしまうと非常に正確で作業が丁寧。クレームを一度も受けたことがない。障害も個性の一つだと実感しました」と満足そうに話す。
母親によると、次男の表情は転職後間もなく明るくなり、マイペースで買い物や料理を楽しむようになったという。
◆働く意義
本社とは別の子会社を設立し、障害の特性に合った仕事を用意することで障害者の雇用を増やす特例子会社が急増し、過去10年で3倍になった。身体障害者の雇用だけでは障害者雇用促進法の法定雇用率を満たせないことや、平成14年の同法改正で本社だけでなくグループ全体の障害者雇用率に反映できることになったからだ。仕事内容は、一般事務、製造加工、清掃、印刷、クリーニングなどさまざま。グループ外から仕事を請け負い、黒字化する会社もある。
障害者雇用企業支援協会(千代田区)のアドバイザー、畠山千蔭理事は「あちこちの部門に配置するより、1部門に集めて指導するほうが効率がいい。ハンディがあるからできないことはあるが、適した仕事では企業の予想を超えた能力を発揮する」と話す。
内閣府の23年版障害者白書によると、17年の知的障害者(在宅)の月収は1万円以下が半数を占め、収入の少なさが自立を阻む。畠山理事は「入社後、人を育て、能力を伸ばすのが企業の仕事。働く喜び・体力・障害から逃げない力-の3つさえあれば、受け入れる企業は増える。家庭でも学校でも、早くから働く意義を考え、適職について考えてほしい」とアドバイスしている。(村島有紀)
【2012.4.12 MSN産経ニュース】
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