Sociocultural Influences on Attitude
この世にひとりとして同じ人間はいません。見た目が似ている一卵性双生児でさえも、何もかも全て同じということはありません。しかし、人格や性格は、遺伝的な要素だけでなく、生まれ育った国・年代などの社会文化的背景にも影響を受け、形成されていきます。
自閉症などの『障害』に対する見解も同様で、もちろん個人差はあるものの、日本とカナダ(北米)では異なるところも多々あります。
調和を重んじる 集産主義 (collectivism)
小さい島国の日本は、世界でも古い歴史がある単一民族国家。旅行で来日する外国人は大勢いるものの、未だに移民の受け入れには積極的でないため、他の民族からの影響を受けにくいのが現状です。
その影響は、人間関係・コミュニケーションにも見られ、共に助け合うことに目的をおいた「統一」を求められる社会背景があります。この「一つになる」という「調和」や「共同体」といった感情は、日本人を象徴する性質で、集産主義(collectivism) や 全体主義 (totalitarianism) と呼ばれています。
2011年、東日本大震災が起こった際、非常事態にもかかわらず、あちらこちらで犯罪が多発することなく、「絆」というスローガンを元に生活を立て直そうとする日本人の姿勢が、海外で話題になりました。この集産主義の文化は、このような強い協調性を生み出す反面、ともすると、差別につながる可能性もあります。
一般的に、日本人は「人と違うこと」「目新しく、通例がないこと」を好まない傾向にあると言われ、それが差別や偏見につながり、学校や社会の「いじめ」を併発しているのかもしれません。日本のいじめは、暴力的な西洋社会のものよりも、もっと閉鎖的で、そのターゲットにされるのは、残念なことに、外国人だったり、立場の弱い障害者だったりするのです。
'WE' ではなく 'I' ”わたし”を重んじる個人主義 (individualism)
日本と比較してカナダ(北米)は、まだ歴史の浅い、大きな大陸国。
単一民族国家ではなく、多民族なので、多様性に飛んでおり、個人主義(individualism)という社会文化に貢献しています。日本の文化は、「”わたしたち”という個のもちつもたれつの相互依存」という性質があるのに対し、カナダは「”わたし”という個の自立」。現代の社会では、「障害」に対して、弱点や損失ではなく、“個”の一種、個性という見方が強いのです。
しかし、それでも、「まったく障害者などの弱者に対してイジメや偏見がない」というわけでは、残念ながらありません。
アメリカでは・・・
・Police Investigating After Teen With Autism Found Duct-Taped(サッカーゴールに16歳の自閉症児が粘着テープで縛り付けられる)
(ALSアイスバケットチャレンジの真似で、14~16歳の5人の子ども達が15歳の自閉症児に「尿・糞便・たばこの吸い殻」の入ったバケツを浴びせ、その模様をビデオに撮り、ネットで配信する)
といった悪質な事件も起こっています。
障害を「個性」と見る障害者観は、初めからあったわけではありません。
JICAナレッジサイト によると、下記のように 障害者観は変遷してきているそうです。
■ 排除の思想
障害者を邪魔者として排除の対象とする思想である。歴史上、このような障害者観は世界中に存在した。特に初期の資本主義社会や軍国主義社会では、障害者は社会の「お荷物」とする考え方が支配的であった。日本の「優生保護法」(平成8年に「母性保護法」に改正)にもこういった思想が顕著に窺える。未だに、こういった考え方は、社会に根強く残っている。
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■哀れみ、同情の考え方
障害者を「かわいそうな人」「保護すべき人」とする考え方である。ここには、保護する人と保護される人という明確な上下関係が存在する。障害者を自分自身と同等の存在として捉えていないという点において、排除の思想と同様の考え方と言える。現在においても、この考え方は根強く残っている。障害者を家族が、専ら家の中でケアし、外に出さないという例が散見されるが、これは家族にこの考え方がある場合が多い。
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■「偉い人(ヒーロー)」という考え方
障害者を「頑張っている人」「偉い人」とする考え方である。例えば、手に障害を持つ主婦が料理をするのを「障害があるのに料理をするなんてエライ」とする考え方は、障害があるのが普通の状態である当人にとっては抵抗を覚える感覚である。この考え方をする本人は、障害者を善意で捉えているつもりである場合が多いが、特別な存在と見なしている点で、上記2つと同様の考え方と言える。
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■ 共生の考え方 障害者は特別な存在ではなく、障害のない人と同じ欲求・権利を持つ人間であるという立場で、社会において共に生きる仲間であるとする考え方である。障害者とその他の市民とが互いに人権を尊重し、相互に支えあう社会を作ることを目指す。
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■「障害は個性」という考え方
共生の考え方を一歩進めたもので、障害を特別視するのではなく、背が高い、低い、髪が長い、短いといった身体的特徴と同様に捉えようとする思想である。障害当事者を中心に広まってきている。我が国においても、平成七年(1995年)の障害者白書(総理府)においてこの考え方を紹介している。
原始時代には、障害者を「神様から人間界に贈られた使者」と、特別な存在として奉ったそうですが、歴史的に長い長い間、排除の対象とみなす思想が世界的に見られました。
産業革命後の初期の資本主義社会や軍国主義社会では、世界の先進国で優生学的思想 が生まれ、「障害者は、役に立たない社会のお荷物」と扱われました。その典型が、ドイツのナチ政権時代においての障害者の断種。犯罪を犯したわけでも、凶暴性があるわけでもない、ただ「障害を持っている」という理由で、多くの障害者が安楽死されました。
「不良な子孫の出生を防止する」という優生思想に基づいて定められた『優生保護法』は、近年では廃止。やむを得ない事情で合法的に人工妊娠中絶を行うことを主な目的とした法律(日本では、1996年6月に母体保護法)として改正されました。
この ≪中絶に関する法律≫ や ≪出生前診断≫は、国(地域)によって認められていないところもありますが、規定内容についても差が見られます。カナダ(北米)を含めた先進国では、母体血清マーカー検査・超音波検査・母体年齢等によるマススクリーニング体制がシステムとして存在し、遺伝カウンセリングや サポート体制も整備されているところも。中絶は【胎児の異常が出生前に診断された場合も対象】とされ、北米・イギリスともに80-90%の中絶率になっています。
※出生前診断---自閉症は出生前の診断が不可能なので対象外
※北米---Down Syndrome and Abortion | Catholic World Report
日本の場合、従来の超音波検査に加え、 お腹の中の赤ちゃんに先天性の病気がないか、妊娠した女性の血液で調べる「新型出生前診断」が2013年4月から開始。2014年現在の母体保護法では【胎児の異常中絶の対象外】とされていますが、現実には行われることもあり、新型診断が先天性の病気の可能性を知ることができ、手軽で流産の危険もない検査として広まる一 方、「命の選別」につながるとして議論を呼んでいます。
このように、国の財政の問題・胎児の生命の質・親の選択権などの観点から、北米・イギリスなどの諸外国では、
「すでに 生まれている障害者の人権や尊厳は最大限に守るが、出生前の障害者は防ぐ」ダブルスタンダード
な見解を取っているところが多いようです。その点では、胎児に対する優生学的思想・偏見は減っていません。もちろん、それらの国々でも宗教や倫理面において、問題視されてはいますが、日本のような議論の的にはなっていません。
※※※ここからは、あくまでも憶測です※※※
やはり、そこにも 集産主義(collectivism) と 個人主義(individualism) という文化的背景の違いが影響しているのではないでしょうか。
カナダ(北米)と比較して日本人は・・・
・血縁関係を非常に重要視する (養子縁組・移民受入れが少ない)
・(胎児も含めた)子どもは親の一部/所有物と考える
・親自身の幸福を犠牲にして、子どもに尽くすのが親の義務と考える(子どもの幸せ=親の幸せ)
・「苦労をして、とにかく一生懸命頑張ることが美徳」という価値観がある
という傾向が、「胎児の生命の質を考慮して、親の選択権を得る」という行為に罪悪感を抱いてしまう人が多いのではないか。。。と想うのです。
【関連/引用/参考サイト】
・[DOC] 第2章 障害とは何か:障害の概念、モデルの変化の概略
・[PDF]第5章 出生前診断について - 滋賀県立大学環境科学部
・[PDF]諸外国における出生前診断・着床前診断に対する法的規制について国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 779
・Eugenics, Past and Future-New York Times
・Unit 2 Tutorial WRLD 302-Communicating Across Cultures
・ “For Japan's Children, A Japanese Torment “-New York Times
・ “Suicide of 'bullied' Japan pupils”-BBC News