顔面疾患

◆顔のない赤ちゃん◆

   

アメリカ・フロリダ在住のウエットモア夫妻に誕生した赤ちゃん・Juliana Wetmore(ジュリアナ=ウェットモア) ちゃんには顔が無かった。彼女の症例はトリーチャー・コリンズ・シンドローム。 遺伝子の異常(※注 : トリーチャー・コリンズ症候群は、なんらかの理由で胎生時に神経提細胞が障害されて顔の側面の形成が阻害される。 遺伝子に関連があるといわれているが原因はまだはっきりと掴めていない)から発症する病気で、ジュリアナちゃんの場合は顔の半分以上の骨が欠損しています。顎、頬骨、眼窩がなく、外耳を形づくる突起もありません。

 

彼女を生まれた時からずっと診ているマイアミ小児病院のミスリン・バウアー医師によると、ジュリアナちゃんの症状はトリーチャー・コリンズ症候群の中でも極めて得意な症例だといいます。知能の面ではまったく問題がなく、身振りや手振りで感情を伝えることができるし、手を結ぶことが愛情を表しているといった具合に表象をあらわすこともできるそうです。

 

誕生から数十回という手術経て、今もなお治療を続けています。ご両親への激励メッセージや寄付は、こちらのサイトを訪れてください。

 

【関連サイト】

 ・CaringBridge.org - juliana

 ・ジュリアナちゃんの成長の様子

 

◆ラバ頭女グレース・マクダニエル ◆

 

彼女は、1888年、アイオワ州ニューマ近郊で普通の家庭に生まれました。ある日応募した「醜女コンテスト」に優勝して以来、「世界で最も醜い女」のタイトルを手にサイドショーに出演。生計を立てていたそうです。赤い生肉のような皮膚、口を動かすのが困難なほどひどくゆがんだ大きな顎、ぎざぎざに尖った歯がバラバラに並ぶ口の中、鼻は異様に大きく曲がり、目は深い眼窩に沈み込んでいて、まるで「ラバ頭女(特殊メイクでつくったラバの彫像)」のよう。彼女を一目見るなり、失神してしまうお客もいたほど。

顔をヴェールで隠して観客の前に立つグレースを司会者が紹介。「今から グレース・マクダニエルがその顔をお見せします。それをご覧になれば、みなさんは彼女に似ていなくてよかったと、神に感謝することでしょう」グレースがヴェールを上げると、観客の中からは恐怖の叫び声があがりました。

 

ところが・・・彼女は、「人を気絶させる」とまで言われたその容貌にもかかわらず、内面は非常に穏やかであり、多くの男性からアプローチを受ける愛すべき女性であったといいます。

 

サイドショー興行師のハリー・ルイストンは、こう述べています「彼女は なぜかわからないが、たくさんの男達をとりこにした。嫌悪をもよおさせる顔つきであったにもかかわらず、彼女が何人の男から結婚の申し込みを受けたか見当もつかないほど多かったんだ。

 

彼女の事をよく知るフリークス研究者のエドワード・マローンやドリー・レーガンは、グレースを”世界一親切な女性”と言っているくらいです。

 

グレースは、男たちの中から若い美男子を夫に選び、1児を出産して、幸せな家庭生活を送りました。サイドショーに出演し、それを自ら愉しむ傍ら、料理や掃除といった家事を愛する良き母親でもあったそうです。息子は成人するとマネージャーとなり、1958年 グレースが死亡するまで 一緒にサイドショーの仕事をしています。1950年にグレースの自伝的映画が制作されたそうですが、残念ながら、公開にはいたってません。



どんな運命・境遇を背負って生まれたとしても、幸せになれる人はなれるんですね!



【関連サイト】

 ・Grace McDaniels

 ・X51.ANIMA

 

◆2つの顔を持つ男  ロバート・メルヴィン◆

 

”双顔の男”、或いは”現代のエレファント・マン”と呼ばれたロバート・オーウェン・"ボブ"・メルヴィンは1920年、ミズーリ州のランカスターで顔の半分を腫瘍に覆われていた状態で生まれました。当時診察した医師は、「原因不明」と、病気を特定することができませんでした。普通なら、ここで絶望したり、落ち込んだり、人との接触を避けたりするものですが、彼は「神がもたらしたちょっとしたユーモアだ」と言ってのけたと言います。

 

とてもフレンドリーで、信心深い人間だった故か、地元ランカスターの彼を知る全ての人から愛されていました。普通に結婚し、娘をもうけ、やがて孫娘も生まれました。「Being Differnt(1980、ドキュメンタリー)」や「The Sentinel(1977、ホラー)」といった幾つかの映画作品に出演して、俳優デビューも果たしています。

 

1995年にメルヴィンは亡くなってしまいましたが、後年、彼の症状は「神経線維腫症(繊維質の腫瘍を生じる症状)」であったことが明かにされました。この神経線維腫症(NF)の症状は患者によって様々であり、小さな腫瘍の場合もあれば、メルヴィンや、グレース・マグダニエルのように大きな腫瘍となる場合もあるのです。

 

【関連サイト】

 ・X51.ANIMA

 

◆ハイチの顔面腫瘍少女 マーリー・キャセウス◆

 

Marlie Casseus―15歳。出生当時は、かわいらしい健康そのものの女の子でしたが、次第に顔面をかたどっている骨がゼリー状になり、頭蓋の内圧から膨れあがるといった稀にみる遺伝病「多骨性線維性骨異形成症(Polyostotic Fibrous Dysplasia)」 に冒され始めます。2005年12月、ハイチからアメリカに訪れ、ホルツ小児病院で手術の計画がたてられたときには、既に腫瘍が顔面の大半を覆うまでに成長し、呼吸困難までともなっていたそうです。切除しない限り、間もなく視力を失うという危険性もあることから、重さ7.2kgもの腫瘍を取り除くべく、切除手術が行われることになりました。

1~3回の手術で、まず目と唇のあいだの腫瘍を切除、その後鼻腔内部と顎を再建されました。2006年の4回目では、前回移植した顎のチタンプレートを取り替えるというもので、手術時間は6時間におよんだそうです。手術後にいったんは危機を迎えたましたが、その後順調に回復し、うまくいけば発声も嚥下も可能になるかもしれません。


マイアミ・ミラー医科大学(University of Miami Miller School of Medicine)の口腔外科医、ジーザス・ゴメス医師によると、マーリーちゃんが成長期を終えた頃、形成手術の要はあっても、腫瘍の切除という大きな手術は4回目の今回で最後とのことです。

手術費用の95,000ドル(約10,720,000円)は、ほとんどインターナショナル・キッズ・ファンド(IKF―International Kids Fund)から賄われていますが、事務局ではなおマーリーちゃんのケアのために寄付を継続してくれるよう求めています。

 

【関連サイト】

 ・More surgery for girl with huge facial tumor

 ・X51.ORG

 

◆鼻孔が上を向いている赤ちゃん◆

 

「老天!(神さま) いったい私どうすれば…」


生まれたばかりの赤ちゃんを懐に抱いた看護婦はこう叫びました。その叫びにおどろき、看護婦から渡されたわが子を腕にした母親も同様、愛しい筈のわが子を見て分娩台の上で意識を失います。

赤ちゃんの名前は福。よく笑うことから母親の梅さんがこう名付けたそうです。梅さんは、中国河南省新郷市の出。天津市で知り合った夫と2005年9月に結婚しました。家系に病気をもつ者もなく、妊娠中に具合を悪くしたこともなく、お腹のなかの赤ちゃんに害があると思われるものは極力避けてもきたそうです。夫は、常に妻を気づかってきました。2人が住むのは現場の寮。夫の給料は800元で、つましやかに暮らしながらも暖かい家庭です。

出産は9ヶ月と14日目という早産でした。福は、頭蓋が普通の赤ちゃんと比べて二倍強。鼻骨が歪み、そのため鼻孔が上を向き、鼻孔に潰されるように位置する左目には、眼球はあるものの視力がありません。「初めて見て怖かった」と語る梅さんでしたが、育つにつれ、顔のほかには異常なく知能も正常なことがわかったそうです。


夫婦は天津市の病院を片っ端からまわりましたが、どの医者も説明はおろか、整形さえも引き受けようとはしなかったといいます。梅さんは福が生まれてからこれまで、よく笑う子を前にしながら、夫とともに、涙を流さぬ日はなかったそうです。

 

【関連サイト】

 ・鼻孔が上を向いている赤ちゃん

 

◆食事や呼吸さえも困難な顔面の肉腫◆

 

中国広東省は河源市和平県に住み、農業を営んでいる陳石平さん(40歳)。「臉部神経繊維腫瘤」 という奇病で、肉腫は顔面で厚く層をなし、胸にまで届いてしまうくらい肥大しています。視力はあるそうですが瞼は垂れ、食事をするにも 「肉垂れ」 をかき分けながらという悪夢のような生活を34年続けてこられたそうです。2006年、慈善団体に勧められ南方醫院に診断に訪れました。

陳石平さんの顔に最初の腫瘍が出来たのは7歳のとき。 額にできた親指大の肉腫は、診てもらった医者にタダで取ってもらったそうですが、その後この肉腫の芽が肉瘤となり、年を経るごとに成長して画像のように大きく変成してしまったそうです。肉瘤の重さは約3kg。 陳石平さんの体重が48kgというのですから、実に16分の1にもなります。


これだけの重さですから成長とともに頭蓋の変形をひき起こし、目は弱視、まともな歯は4、5本で食事は困難をともない、呼吸は阻まれ、明瞭に発声することはできません。また、その容貌ゆえ、クラスメートからは妖怪扱い。通っていた小学校は3年で辞め、以来飼っていた牛の放牧に朝早くから家を出て、兄弟家族以外には人目につかないように過ごすのが日課だったそうです。 

 

紹介を受けた南方醫院の整形美容外科主任、高建華医師によると、「陳石平さんの症例は、臉部神経纖維腫瘤とよばれるもので、染色体変異、すなわち遺伝子の異常によっておこるものだ。 過去6年の間に十数例の同様の症例を診たがこれほどのものははじめて」 なのだそう。

 

手術は、三ヶ月に一度を目処に三回にわたっておこなわれ、この13日に最初の手術予定とか。 まずは画像、手で引っぱっている左頬の大きな肉腫を切除。 最大の問題は手術中の失血とのこと。

◆顔から垂れる15キロの肉塊、行きづまる家族の暮らし◆

 

湖南省郴州市永興県の鄙びた山村に暮らす黄春さん。2007年当時、31歳の男性。面部から腹に垂れた腫瘤は、その重さ約15kg。歩くときにはいつも猫背で、大きく息を弾ませながら腫瘤を両手でひとまとめに抱え、かばうようにそろそろと歩を進ませます。

黄春さんの顔に腫瘤ができたのは、まだものごころつかぬ4歳の頃。家は貧しく、両親は医者に診せにいくことができなかったといいます。10歳を過ぎる頃、左目は肉腫に完全に覆われ、また腫瘤の重みから脊椎が歪み奇形、上顎と下顎も変容して咬合がきかなくなり、歯は25歳までにすべて脱落。聞くことも、発語することも不可能。腫瘤はなお膨らみ続けています。

父親の黄晩保さんは言います。「実をいうとあれを見世物として全国をまわって金を稼ごうと考えた時期もあったんだ。でも家族の反対に遭ったよ。あたしたちはあの子の肉親なのよ、どんなに辛い目にあったとてあたしたちは全て受け入れるべきよ」と。

しかしながら、生活を切りつめてなんとか治療費を捻出しようとしても、手術費は数十万元。一家は日の出とともに働きはじめ、日が落ちるまで野良仕事に打ちこみます。痩せた土地からとれるわずかな作物を売っても、年数千元にしかならず、家族の暮らしを辛うじて支えている状態で、治療費までは捻出できません。

 

その後、これを報じた中国メディアの反響が大きく、幸運なことに、広州復大腫瘤医院で治療費は全額免除治療でうけることとなったそうです。

 

上記のこの方たちだけではなく、下の写真のように肉腫で苦しんでいる方は沢山います。

 

【関連サイト】

 ・超級「象面人」男性、治療に広州復大腫瘤医院が名乗り

 ・31歳の象面人男性を貿易会社の女性社長が援助

 ・24歳の女性「象面人」、この六月にも二回目の手術へ

 ・顔面にできた3キロもの巨大な腫瘤を摘出した女性

 ・首と背中に20キロの肉腫をもつ女性

 ・12時間の手術で約90キロの腫瘍の摘出に成功―ベトナム



◆崩壊する顔面◆

 

ポルトガルはリスボン在住のジョーンズ・マイストさん(2007年当時51歳)。


11歳の頃から唇周辺の腫れからはじまったというジョーンズさんの病名は、「面部血管瘤――スタージ・ウエーバー症候群あるいはポートワイン母斑 : Sturge-Weber Syndrome」で、顔面の真皮と脳軟膜、脈絡膜などに血管腫が発生するもの。1万人にひとりというスタージ・ウエーバー症候群は通常、見た目、顔面片側にワインを垂らしたような紅い痣ができるものなのだそうですが、ジョーンズさんに至ってはこれが腫瘤となって成長し、いまでは腫瘤全体で5キロという大きさになってしまったそうです。

もちろん食事は非常に困難を伴い、目は失明、仕事はできずに母亡きあとは、姉妹から面倒をみてもらっているといいます。若い頃にはドイツおよびスペインに渡って治療を試みたものの成果は上がらず。以来、大の医者嫌いとなったことも。さらに、これほどまでに腫瘤が大きくなってしまったのは、輸血を禁じるというジョーンズさんの宗教上の理由が大きな障害となっていました。


心のうちを語るのは世話をしてくれる姉妹のみ、極めて閉鎖的な生活を送っていたようですが、このたび手術費免除で彼を治療してくれる病院があらわれたということで、40年間、顔面を多う巨大な腫瘤に悩まされ続けてきた男性が、切除手術を受けることになったそうです。

 

【関連サイト】

 ・崩壊する顔面――面部血管瘤