プロジェリア
◆人の10倍の速さで老化してしまう病気◆
ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群(HGPS--Hutchinson-Gilford Progeria Syndrome)は、ウェルナー症候群と同様、全身の老化が異常に進行する早老症疾患の一つです。
新生児期ないし幼年期に好発して、身長、体重の発育が乏しく、本症患者の1年間の老化が、健常者の10年間以上に相当するといわれるくらい老化が進行します。特に動脈硬化による血管障害の進行が早いため、心機能障害や脳血管障害などの重大な循環器系疾患が極めて発しやすく、平均寿命が著しく低下。平均寿命は約13年。2012年現在、下記のアシュリー・ヘギの17歳11ヶ月が最高齢とされています。
外形的には、頭部が大きく見え、強皮症などの皮膚老化、脱毛、骨格・歯の形成不良をもたらしますが、神経器ならびに脳機能は正常に機能・成長するため、認知症等の症状は出ず、体格の老化進行と正常な精神発達との差が大きく出てしまいます。新生児において約400万人に1人、幼児期を通じて約900万人に1人の頻度で発症。男女比は1.5対1と男児に多く、現在までに146症例が確認されており、存命中の患者は約40名。発症頻度の97%は白色人種とされてきましたが、これは同症の研究が進んだ北米地域における臨床例が多いためと見られ、現在では実際の発症は人種や性別に影響を受けずに存在するとする説が有力です。
2003年には本症の原因遺伝子が特定され、患者のヒト1番染色体上にあるラミンA (LMNA) 遺伝子の異常により正常遺伝子と比較して構成塩基が1個入れ替わっており、核膜に異常を来たし、老化の促進を引き起こす最も大きな要因となることが病因であると判明。また、かつて本症が知られるようになった当初は、遺伝的な常染色体劣性遺伝による疾患と考えられていたが、疫学上ほとんどの症例は散発的で家族内発症がほとんど認められていないことなどから、現在では根本的な病因として突然変異性の強い染色体異常が疑われ、遺伝様式は明確ではないとされています。(レハナとイクラムのカーン兄弟(インド)のように、兄弟で発症する例も少ないながらも存在します。)ただし、根本的な治療法は認められていないのが現状です。
下記は、この病と闘っている著名な患者です。
アシュリー・ヘギ(Ashley Hegi)
母親のロリー・ヘギが当時17歳であった1991年5月23日、カナダ・ロッキー山脈の麓にある小さな町アルバータ州で生まれました。大きな目をしたかわいらしい赤ちゃんでしたが、生後3か月頃から皮膚が硬くなりはじめ、さらに髪の毛が抜けはじめます。最初は、原因はわかりませんでしたが、生後9か月頃、たまたま担当医がプロジェリアの記事を見つけたのがきっかけとなり病気が判明しました。
通常の10倍のスピードで老いていく難病・プロジェリアという病名を告げられ、実父はアシュリーが1歳の時に家を出て行ってしまい、母親のロリーは絶望の淵に立たされました。髪の毛が抜け落ち、頬(ほお)がこけていく娘。そうした現実を直視することが出来なかった母は、やがて酒や麻薬へと溺れていきます。やがて、過酷な運命を、アシュリーと母・ロリーが受け入れて、絶望の淵から這い上がっていきます。
アシュリーのすごいところは、大変な病気と闘って、普通なら落ち込んで、自分のことで精一杯になってしまうのに、周囲の人たちに気を使い、前向きに生きたことです。病気と向き合う姿は有名で、数々の言葉を残しました。
小さいときからよくからかわれたし、いまもからかわれることはあるけど、
そういうときは、「あなたにも同じ血管があるのよ」って説明するの。
それでもからかうようなら、もう放っておくの。(I leave them alone.)
それはわたしの問題じゃなくて、(I know it's not my problem.)
彼らの問題だから。(It's their problem.)
プロジェリアじゃなければいいのに、なんて思わないわ。
わたしは、わたしという人間であることが幸せだし、
神様がわたしをこうお創りになったのには、(God made me who I am.)
きっと理由があるはずだもの。(There must me a reason for that.)
もしかしたら神様は、
“わたしはプロジェリアだけど、こう生きている”
ということを人に見せなさいって、
その機会をお与えになったのかもしれないって思うの。(Maybe God gave me a chance.)
この病気をとおして、
人を助けなさいということかもしれないって思うの。(Maybe he wants me to help others.)
わたしのことをかわいそうだって言う人がいるわ。
でも、その人たちはわたしじゃない。
だから、そう言うんだと思う。
だってわたし、自分のこと、
かわいそうだって、ちっとも思わないもの。(I don't feel sorry for
myself.)
人はこうなのに、自分はこうだとか、
誰かと自分を比べて、どうこう考えたりしない。
誰だって完璧じゃないもの。(No one is perfect.)
その後、同じ病気と闘ってきたジョン・タケットくんと会い、交流を深めていきましたが、2004年亡くなってしまいます。 「さよならを言う必要はないわね。だって私の番がくれば、もう一度あなたに会える」ジョンのために開いたセレモニーでアシュリーが風船と共に飛ばしたメッセージ。
その頃、2003年に再婚した母・ロリーに異父との間でジョンと入れ代わるように弟・エヴァンが誕生しました。病気のことを一番理解してくれていた一人小学校時代からの親友・クレアは、男の子と遊ぶことに夢中。周りの少女たちも、大人の女性への階段を駆け上がり始め、独りで過ごす時間が増えました。最愛の人の死によって自分の命の限界を感じ始め、残された自らの命の炎をどう生きようとするのか・・・孤独感と向き合う中、彼女は自分が生きている意味を必死で見つけようとしていました。
なぜ、ここにいるのか、
それはわからない。
でも、わたしたちがここにいるのには、
何か目的があるはずだと思うの。(We are here for a reason.)
最終的にアシュリーが見つけた自分の使命は、インターネットを通じて、年下のプロジェリアの子どもたちにメッセージを送ることでした。プロジェリアの平均寿命は13歳と言われていますが、アシュリー・ヘギはそれを越える17歳まで生存し、最高齢でした。2009年4月21日死去。日本においてもテレビ報道等で、多くの人たちが「いかに満足な生活を送っているか、いかに不自由なき人生を当たり前に過ごしているか」を改めて考えさせられ、感謝しています。
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洋洋
1994年中国吉林省盤錦市に、出生体重が3250gとごく普通の女児として生まれましたが、1歳のときに頭が異様に大きくなりました。同齢の子たちが立ちはじめる頃でも、立たせようとすると爪先を上に向けてしまい、つかまり立ちもなかなかできなかったそうです。ここで母親の朱女史が医者に診せ、異常が見つかりました。
2000年6歳の頃には皮膚に皺が刻まれはじめ、身長の伸びは止まり、2006年12歳でも1mくらい。腿下が60cmあるのに対し、上半身は40cmと発育に差があります。体重は8.9キロ。 これは1歳の子供の体重、2~3歳の子供の身長と同じ。プロジェリア症候群の特徴が顕著にあらわれ、頭髪は抜け落ち、皮膚は乾燥し、目はやや濁り歯は抜け落ちて老衰は着実にこの若子の命を削っています。
新陳代謝の面でもすでに動脈硬化などから衰えがはじまって、骨と皮ばかりのやせ細った体を震わせて泣きます。新たに、吉林大学病院で診察を受けた結果、老年性の白内障、網膜の萎縮、コレステロール値の上昇などもみられました。これから先、心臓血管の疾病、脳卒中などが心配されるといいます。
母の朱は、洋洋が7歳のときに娘の診療費の高さから離婚。 以来、女手ひとつで毎月400元のアルバイト代をもとに辛うじて娘との生活を支えています。こんな状況から、吉林大学病院では洋洋ちゃんの医療費を免除することに決めたそうです。
取材したある記者が朱さんに、「洋洋ちゃんを遺棄しようと思ったことがあるか」と訊いたところ、朱さんはきっぱりとこう言い放ったそうです。「私はこの子の一生を最後まで責任をもってキチンと面倒みるつもりよ。 母として、娘とともに歩み続けることが私の使命なの」。朱さんは毎日祈りを欠かしたことがありません。たった一日でいい、娘の病状が突然よくなって、普通の子供のように学校に行って、遊んで、同い年の子供たちの幸せを、等しく味合わせてやりたいと願っているそうです。
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